2010年10月に経営者育成プログラムの研修を終え、起業するべく大阪に進出。
2011年トナックブーケを設立。
私が研修したプログラムを採用し、
”経営者を世の中に輩出する”
これをミッションに、当初はほぼ365日仕事をしていました。
優秀なメンバーは揃っていたのに、当時の私は仕事を人に任せる勇気がなく、全て自分で管理。
任せないので、案の定、人も育たない。
仕事の将来性を見据え、ひたすら目標を持って取り組むこと数年…。
ここまでも、伸びてほしい一心でメンバーに接していました。
思い返せば、メンバーへのあたりが相当強かったと思います。
私がどうであれ、前に進み続けるメンバーがいてくれて感謝。
そして、とうとう大きな間違いに気が付きました。
私が、一人一人に手をかけ、言葉をかけ、何とか育てようとしていた事で上手くいかなかったのです。
起業前の自分が研修中に与えられていたもの。
”伸びようと努力する人が伸びる環境”
これを提供して貰っていた事を思い出しました。
私はそこで、自分の可能性を存分に伸ばす事ができたのです。
しっかり立て直し、やっていかなければ。
起業前に研修させてくれた社長に再度教えを乞い、経営方針から全て見直しました。
”社長になって終いでは無い。
成功する人材、優れた経営者を輩出するんだ!”
このメッセージを伝えるようになりました。
じわじわ浸透し、人が伸び始めたタイミングで2020年2月コロナ禍に突入。
店舗での催事イベントも80%以上中止。
開催の許可を頂いた店舗でも、「物を渡さないでください」「声をかけないでください」との要請が当然ありました。
最初の1週間は、従来の5%まで売上が落ちました。
そもそも当時はこのウィルスがどのようなものなのかも分からず、
人に会う事が多い業務を継続していいのか、
メンバーの健康は大丈夫なのか?と葛藤が続きました。
散々悩んで決断しました。
”どんな状況、どんな時代でも戦える人を育てること”
メンバーひとりひとりの気持ちを確認し、共に走り抜き、
2020年の売上は昨対130%、2021年既に5人のメンバーが昇格し、今年いよいよ経営者を輩出します。
たくさんの失敗を経験させてもらいました。
たくさんの人に支えてもらいました。
たくさんの仲間に出会いました。
これから一緒に働く人にも、たくさんチャレンジし、失敗や成功を体感できる環境を提供したい。
トナックブーケでは、”出る杭をぼっけぇ伸ばす!!”
の理念の元、一人でも多くのメンバーを経営者として輩出します。
仕事はコツコツ系で、正直大変です。
職場見学はできますが、引くぐらい地味です。
「とにかく成長したい!」
「周りに影響を与える自分になりたい!」
今は何もなくても大丈夫。
私も何者でもなかったです。
あなたの可能性を引き出す環境を提供します。
私達と共に成長しましょう!!!
挑戦者、求む。
株式会社トナックブーケ
代表取締役 中嶋 敏恵
岡山県真庭市出身です。家族や周りの人に褒められたくて、勉強をするマジメちゃん。国立大学を卒業し、某有名小売店へ正社員で入社。
親世代にとって理想的で典型的な『良い子』でした。ただいつからか、誰かの理想で生きる事が苦しくなって、本当は自分は何がしたいんだろう?と考えるようになっていました。社会人になるのはとても楽しみで、早く働きたい!と思っていました。自分が稼いだお金で、好きな事がやれる!そう、確信していました。
2001年4月、夢にまでみた社会人生活がスタート。 理想に燃え、努力していた方だと思います。 数百人が働く店舗で、一番売り上げの高い部門に配属され、素敵な素晴らしい先輩や上司に恵まれました。出世する人が必ず配属される部門らしいです。
しかし、理想は理想。現実の私は『社員のくせに使えない奴』でした。やる気はあっても、空回り。大きな部門なだけに、優秀な年上の方々をとりまとめる事になり、人間関係がうまく作れず、陰口も聞こえ始め、誰を信頼していいのかもわからなくて、素直になれず、ストレスで顔に発疹ができ始めました。
できない仕事は残業でカバー。会社と家との往復の毎日。仕事ができるようになれば、この生活も変わると思っていましたが、仕事のできる上司が私より長く働いていました。「仕事はやりがいがあるが、家族との時間はとれない」上司の言葉から自分の5年先、10年先が不安になり、このまま結婚して、子供ができて、自分がやりたい事を我慢して、妥協して、この人生が終わってしまうのではないかと、その不安が日に日に増していきました。辞める事を考えましたが、一番働きたかった仕事がこうなら、どこで働いても同じなのでは、、、と中々決断できませんでした。
たまったうっぷんを当時付き合っていた人にぶつける日々。「お前、変わったな。」大好きな人の言葉でハッとしました。やりたい仕事をさせてもらっているけど、なりたい自分からは、かけ離れていく。それから4年。お世話になった方々に何もお返しできないまま退職。
色んな仕事をすれば、きっとやりたい何かが見つかるはずだと、翌日からアルバイトをかけもち。多いときは1日5社。病院の皿洗いからポスティング、家庭教師にカフェホール、とにかく何でもやってみました。
朝4時起床、25時過ぎに寝る生活はきつく、限界だ。そう思っていた矢先、たまたま登録に行った派遣会社で、「コーディネーターとして働かないか?」と声をかけて頂く。登録者や、派遣先の人事担当者から話を聞けば、自分の求めている理想の会社がみつかるかも、、、!
そう思って、その話に飛びつきました。
しかし、結局わかったのは、皆ほとんど同じ理由で転職するという事。人間関係、給与、待遇、仕事内容、 休み、、、。女性も男性も、ある程度の年齢以上の人は会ってもくれない人事。スキルはあっても、子育て中の人も同様でした。
独立して、自分でやるしかない。そう思うようになりましたが、どうしたらできるのか、そもそも何がしたいかもわからなかったので、身動きがとれず。そんな時に出会ったのが営業会社の社長だったのです。
彼は26歳で営業の会社で下積みをし、27歳で会社を立ち上げ、経済的にも成功し、年に何度も海外に行き、プライベートも仕事も充実した生活を送っているように見えました。 私もこんな人生にしたい! そう思って彼の会社で営業の仕事をスタートしましたが、 夢も目標も持つこと自体が無駄に思えていた当時、素直になれず、上手くいかない毎日を、 商品やクライアント、話を聞いてくれないお客様のせいにして、(もっと良いやり方があるはずだ。誰も私の求めているものを教えてくれない)と嘆いていました。
「悲劇のヒロインになってんじゃねーの??!」 先輩ですが年下の女の子に言われたこの言葉に猛烈に腹が立つのと同時に、過去すべて、そういう生き方をしていると痛感。こんな生き方、めちゃくちゃかっこ悪い!!変わりたい。変わらないと駄目だ。そう気付かせてもらってからの日々は、今までとは大きく違いました。仕事に対する姿勢、周りにさしていた指を全て自分にむけ、「1回私にチャンスをください!」という気持ちで営業することに。すると、どんなお客様に対しても自然に感謝できるようになっていきました。
自分の人生だから、自分の好きにやらせて欲しい! フリーター時代、そんな言葉を投げつけた両親に「育ててもらった恩を忘れ、失礼な事を言ってすいません!2人の元に生まれて幸せです。」と、いつしか、素直に自分の気持ちを伝える事もできるようになりました。下積み開始から4年、32歳で株式会社トナックブーケを設立。当時4行しかなかった夢リストは、A4用紙裏表ギッシリになり、どんどん叶って、さらに増えています。
過去は変えられない。未来は今を変えないと変えられない。じゃあ今、どうするかは自分次第。言い訳を一旦やめて、本気でチャレンジしたら、 どんな未来があるのか、どんな自分になれるのか興味がありました。長い人生の1年を、自分に賭けてみるのも悪くない!自分の可能性は、素晴らしい『人』との出会いで、無限大に広がっています。
この人生で、一生大切にしていきたい。そんな仲間に出会える事を楽しみにしています。
研修時代のエピソード
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